「虫歯」って、なぜ「虫」なの?――世界各地に残る「歯の虫」の不思議
「虫歯」という言葉を、改めて考えてみたことはありますか?
虫歯の原因は、もちろん虫ではありません。口の中の細菌が糖などから酸を作り、その酸によって歯が少しずつ溶かされていく病気です。
それなのに、なぜ日本人は「虫歯」と呼ぶのでしょう?
実はこの「虫」という発想は、かなり昔から存在していました。そして面白いことに、日本だけではありません。
昔の人は、本当に「歯の中に虫がいる」と考えていた
現代の私たちは、虫歯になると「細菌が原因だ」
と知っています。
でも、顕微鏡も細菌学もなかった時代の人々には、虫歯がどのように進行するのか分かりません。
歯には穴が開く。
黒くなる。
そして、ある日突然、猛烈に痛くなる。
しかも、歯の表面ではなく、まるで歯の内部から何かに侵食されているように感じることもあります。
そこで生まれたのが、
「歯の中に何かが住んでいて、歯を食べているのでは?」
という考え方でした。
その「何か」に選ばれたのが、虫だったのです。
「歯の虫」は日本だけの発想ではなかった
驚くことに、古代メソポタミアにも「歯の虫」に相当する考え方が見られます。
楔形文字で記された古代の文書には、歯の中に虫が住みつき、歯痛を引き起こすという発想が登場します。
一方、古代中国にも「歯虫」という考え方がありました。
つまり、
歯が痛い
→ 歯の中に何かがいる
→ その何かが歯を食べている
という説明は、かなり古い時代から人々の間に存在していたのです。
なぜ「虫」だったのだろう?
ここでいう「虫」は、現代の私たちがイメージする昆虫だけではありません。
昔の日本語では、「虫」という言葉にはもっと広い意味がありました。
「腹の虫」「癇の虫」「虫の知らせ」などを考えてみると分かりやすいでしょう。
昔の人々にとって「虫」は、身体の中に潜んで人間の状態に影響を与える、目には見えない存在を表すこともありました。
だから「歯の中にいる虫」という考え方も、当時の感覚からすれば、それほど奇妙なものではなかったのかもしれません。
「虫食い」に似ているから、という説も
もう一つ考えられるのが、「虫食い」からの連想です。
木材や衣服などが虫に食われると、小さな穴がたくさん開き、少しずつボロボロになっていきます。
虫歯も、
歯が少しずつ侵食されて、最後には穴が開く。
その様子を「虫に食われた」と表現するのは、非常に分かりやすい比喩です。
実際に虫がいるわけではなくても、「虫食い」のように歯が壊れていくから「虫歯」と呼ぶ――という解釈もできます。
そして、ちょっと怖い「夜の歯痛」の話
「歯の虫」の考え方には、さらに興味深い話があります。
昔の人々は、歯痛が夜に強くなることから、
「夜になると歯の中の虫が動き出すから痛むのではないか」
と考えることもありました。
もちろん、虫歯の痛みが夜に強く感じられることには、現代医学的な理由があります。
横になることで血流や圧力の変化が起きたり、周囲が静かになって痛みに意識が向きやすくなったりするためです。
でも、原因が分からなかった時代には、
「昼は大人しくしている虫が、夜になると活動する」
という説明は、かなり納得しやすかったのでしょう。
「虫歯」という言葉に残っている、昔の医学
今では、虫歯の原因が細菌であることも、歯がどのように脱灰していくのかも分かっています。
それでも私たちは「虫歯」という言葉を使い続けています。
考えてみれば、これはちょっと不思議なことです。
現代医学では否定された昔の病気観が、言葉として何百年、何千年という時間を越えて残っている。
「虫歯」というたった二文字の中には、
「歯の中に虫がいる」
と考えた昔の人々の世界観が、ひっそりと保存されているのです。
そして何より興味深いのは、遠く離れた地域でも「歯の中の虫」という似た発想が生まれていること。
もしかすると、人間は昔から、見えないものによって起こる痛みを「何かが中にいる」と想像してきたのかもしれません。
そう考えると、普段何気なく使っている「虫歯」という言葉が、少し違って見えてきませんか?
なお、現代では「虫が歯を食べる」という誤解を避けるため、歯科医学的には「う蝕(うしょく)」、一般の表記でもひらがなの「むし歯」と書かれることが増えています。
歯科医師 有馬





